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THE WANDERLAND for Dogs, Cats and Us
6月に公開となる映画「犬と猫と人間と2 動物たちの大震災」。
これまで断片的にしか取りあげられなかった被災地の人と動物に迫ったドキュメンタリー映画です。
本サイトで「犬のはなし」を連載中の穴澤賢さんをナビゲーターに迎え、前作の監督であり今作では構成・編集・プロデューサーをつとめた飯田基晴さんと、監督の宍戸大裕さんに話を伺いました。
穴澤:私は前作「犬と猫と人間と」に感銘を受け、今回の作品にも非常に興味を持ちました。もともと飯田さんと宍戸さんはどういうご関係だったのでしょう? 映画の中で宍戸さんは「飯田さんの弟子です」と言っていましたけど。
飯田:僕も映像を見てびっくりしました。弟子なんかとった覚えはないですから。
宍戸:学生の頃ですが、当時、僕は環境問題に取り組むサークルで活動していたんです。そのときに圏央道の建設で高尾山にトンネルを通す計画と、それに反対する自然保護活動があることを知り、そのための映画を作りたいと思いました。そんなとき、知人から飯田さんのやっている「映像サークル風の集い」を紹介してもらい、そこでそれこそカメラの選び方から何から教えてもらったんです。
飯田:それぞれ自分の作品を持ち寄って、お互いに観て意見を交わす集まりをやっていました。ドキュメンタリーに興味があれば誰でも参加できるという。そこへ宍戸くんがやってきたんです。
穴澤:宍戸さんの印象はどんな感じでした?
飯田:映画を撮りたいっていう若者はたまに来るんですけど、彼の場合は高尾山のことを映画で訴えたいというんです。そういう人は珍しいし、僕も具体的に撮りたいものがあってスタートした口なので、面白いなと思って付き合いはじめました。といっても、月に1回の集いで彼の撮った映像にいろいろとアドバイスしたくらいです。
穴澤:それでそのときの映画は完成したんですか?
宍戸:2年かけて「高尾山 二十四年目の記憶」という40分の作品に仕上げました。
穴澤:よし、これからは映画監督で行くぞと。
宍戸:いえ、そのときはそれで終わりました。大学を卒業して仙台の実家に戻って、司法浪人を2年間。弁護士になりたかったんです。
穴澤:飯田さんは宍戸さんが仙台に帰って弁護士を目指すと聞いたときは、どう思ったんですか?
飯田:完成した映画は、初々しくも見応えのある作品でしたし、せっかくなら映像の世界に入ってほしいなと思っていたんですが、映像で食っていけるかっていえばそんなに簡単なことではないですし。映画って、つくるのも大変ですけど、観てもらうのも大変なんですね。だからそういうことも経験して欲しかったんですけど、映画はサークルの後輩に引き継ぐといっていたので、ちょっともったいないなと。
穴澤:それで2年間司法浪人した後というのは?
宍戸:そろそろ働かないとまずいと思い、東京に来て福祉のNPO法人に就職したんです。
穴澤:じゃあ、震災が起きたときはそのNPO法人で働いていたのですね。最初に被災地へ入ったのは、いつだったのでしょう。
宍戸:8日目でした。2011年3月19日です。
穴澤:そのときに映画を撮りたいという気持ちがあった。
宍戸:いえ、そのときはまだ漠然としていました。震災が起きて5日後、死者・行方不明者が1万人を越えるという見出しをニュースで見たとき、初めて自分の地元が大変なことになっているとショックを受けて。
穴澤:ご実家は無事だったんですか?
宍戸:大丈夫でした。海から10数キロ離れたところですから。
穴澤:被災地に行く前に飯田さんに何か相談はしたのですか。
宍戸:はい。何か記録をしたいとは思っていたので電話をして「撮りたいと思っているんです。ボランティアもしたいし、映像も撮りたい」と。
飯田:被災地の取材は中途半端ではできないと思ったので、撮影とボランティアの両方を目的にすると、結局ボランティアに逃げてしまいそうな気がしました。「エネルギーを集中させた方がいいよ。でも、決めるのは宍戸くんだから」と言いました。そうしたら「撮る方を選びます」と。
穴澤:そうなんですね。じゃあ最初の時点では漠然と記録として映像を残そうと思っていただけで、特に動物を撮ろうと思っていたわけではなかったんですか。
宍戸:なかったんです。それ以前に映画をつくることになるとも思っていませんでした。
vol.2に続く
震災を生き抜く人々を記録するため故郷の宮城県に帰ってきた宍戸大裕さん。
変わり果てた光景に言葉を失う中、人間だけでなく動物も被災していたことに気がつきます。
被災地でカメラを回す宍戸監督の思いについてお聞きします。
作品情報
『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災 』
大津波に襲われた宮城県石巻市。原発事故に翻弄されつづける福島県。東日本大震災では犬や猫、牛などの動物たちも被災しました。動物たちが伝える無言の声、その声に耳を澄まし動きだす人々。別れ、再びめぐり逢ういのちといのち。動物たちと人々が過ごした3・11からの00日を見つめます。 2009年に劇場公開され話題を巻き起こしたドキュメンタリー映画「犬と猫と人間と」の飯田基晴監督がプロデューサーとして製作を指揮、宮城県出身の若手監督宍戸大裕が震災下を生きぬく動物たちと人々に迫ります。
監督・撮影:宍戸大裕
構成・編集・プロデューサー:飯田基晴
製作:映像グループ ローポジション
2013年6月1日(土)より渋谷ユーロスペースほか、全国順次公開決定
公式サイト http://inunekoningen2.com/
作者プロフィール
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宍戸 大裕(ししど だいすけ)
1982年、宮城県仙台市生まれ。宮城県名取市在住。 学生時代、本作のプロデューサーでもある映像作家の飯田基晴氏や土屋トカチ氏(『フツーの仕事がしたい』監督)が主催する映像サークル「風の集い」に参加し、映像製作を学ぶ。 学生時代の作品に、高尾山(東京)へのトンネル開発計画と、それに反対する住民による自然保護運動の姿を追ったドキュメンタリー作品『高尾山二十四年目の記憶』がある。福祉関係のNPO勤務を経て、現在は映像製作に携わる。
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飯田 基晴(いいだ もとはる)
1973年神奈川県横浜市生まれ。 96年より新宿でボランティアとして野宿の人々と関わり、98年よりビデオ、テレビ等で野宿者の状況を発表。フリーで映像製作を行う。2006年、仲間と「映像グループ ローポジション」を設立。監督作品として、『あしがらさん』(02年)、『今日も焙煎日和』(07年)、『犬と猫と人間と』(09年)、「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」(12年)。2010年、初の著書「犬と猫と人間と いのちをめぐる旅」を出版、さらに『犬と猫と人間と』のダイジェスト版DVD『いぬとねことにんげんと』(11年)などを製作。本作では構成・編集・プロデュースを務める。
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穴澤賢(あなざわまさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に「ひとりと一匹」(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック「Another Side Of Music」(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った「またね、富士丸。」(世界文化社)などがある。2012年には、実話をもとにした猫の絵本「明日もいっしょにおきようね」(草思社)を手がける。酒好き。
Another Days 富士丸な日々